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「おーい」
彼女が呼んでいる。早く行かないと。
夏の海、目の前には砂浜。彼女はビキニを着てビーチサンダルをはいてボールを持ってこっちに手を振っている。対する俺は長袖長ズボン、スニーカーをはいてパラソルの中に避難していた。
もちろんこんな格好暑い。でも暑いのは嫌いじゃないし、日に焼けたくはないからな。
「あっつーい」
そうしてたら彼女がこっちまで来ていた。
「そんな格好で暑くないの?」
「暑いよ」
「じゃあ脱ぎなよ」
この問答もずいぶん繰り返した。彼女は俺の答えを知っている。
「海」
「うん」
俺たちの出会いは数ヵ月前のことだ。

俺たちは部活で知りあった。
俺は先輩に案内されてこの部活に来た。初めてだから知らない人だらけ。俺は人見知りで他人と目を合わせるのが嫌でずっと人目を避けて下を向いていた。
そしたらいつのまにか先輩から変なあだ名で呼ばれるようになってしまった。だから俺の知らないうちに俺の名前が部に広まってしまった。
それでも誰とも話せないでいた。
そのとき、彼女が話しかけてくれた。
「ねえねえ、君って確か…」
それから俺たちは仲良くなった。
彼女は俺のことをちりと呼んだ。これは俺のあだ名を省略した名前だ。彼女はうまい感じに省略できたと喜んでいた。
「ああ、人見知りなんだ。一人でいるのが好きだったらどうしようかと思ってたんだ」
一人でいることが好きなわけじゃない。人と顔を合わせられなかっただけだ。
「ちりさあ、下ばかり向いてたら仲良くしたくても仲良くできないよ」
それは確かに。
彼女は俺が一緒に帰ろうと言ったら家が反対方向なのに一緒に帰ってくれた。
「ちりの家って遠いから大変だよね」
もちろんどんなに遠くても学校の最寄り駅までにしている。あまり遠いとかわいそうだしな。でも女の子を夜に一人で帰らせるのは危険だよと後で先輩に言われた。
「そんなこと気にしなくていいよ」
彼女はそう言った。どうして気にしないんだろう。
「女だと思われるのが嫌なの」
この答えは予想外だった。どこをどう見ても女の子にしか見えない。スカートをはいた姿を見たことはなかったが、それが原因だろうか。
「どうして?」
そう聞いてみた。
「女の子とうまく話ができないし…」
確かに、そう言えば女の子と話している姿はあまり見たことがない。話してても俺と話するときのように自分から何かを話すなんてことはしない。
「女の子と話ができないからって女じゃないってわけじゃないとおもうけど…」
「そうだね」
彼女の目は寂しそうだった。
彼女と駅前で別れて、俺は電車に乗った。目的の駅で降りて、しばらく待った。すると、一台の車がやって来た。
「ごめーん、待った?」
中からあいつが声をかけてきた。
「いや、待ってないよ」
そういって俺はそいつの車に乗った。
こいつは俺の恋人だ。

彼女はいつもとは違う様子で表れた。
俺はそれと同時に先輩からこう聞かされた。
「ちりとあのこって付き合ってるんだよね」
俺は先輩にそれを訂正してすぐに彼女のもとにかけよった。
「どうしたの?」
「気にしないで」
「でも」
「お願い」
そう言って彼女は部室から離れていった。

彼女は誰もいないところで一人立っていた。そして俺の方を向いている。
「ごめん」
彼女は俺にあうたびこう言った。
「あんな噂流れてるなんて…」
何を言ってるのか分からない。彼女は何が言いたいんだ?
「そんな噂流したいから一緒にいた訳じゃないよ。これは本当に一緒にいたかっただけで…」
本当に訳が分からない。
「どうしたの?」

「あたし、ちりのことが好き…」

「…ごめん」
彼女は去っていった。
…結局訳が分からないままだった。

彼女は俺に恋人がいることを知っているはずだ。これは部活では彼女にしか話してない。
彼女は部活に来ていない。
先輩に彼女を泣かせたのかと聞かれた。
彼女の友達と言う何人もの子に囲まれて
「期待させといてふるなんてさいてー」
と言われた。
彼女を憎みもした。何で俺がこんな目に合わないといけないんだ。
でも、あるこの話を聞いてその思いはぶっ飛んだ。
「あの子、君と話すときが一番楽しそうだった。私がメールしても返事か来ないから君からメールしてくれない?」
その日、俺は彼女にメールした。
《久しぶりー、元気?》
正直こんな文面しかかけない自分が恥ずかしい。返事が来たことにビックリした。
《部活に出られなくてごめん。私は大丈夫だよ。》
《どうしたの?》
《気にしないで》
《気にするよ》
《本当に大丈夫だから》
堂々巡りだ。俺は何を言えばいいんだ。
《いつ部活に行くの?》
長い間返事を待った。その返事は…
《海行かない?》

そういうわけで今ここにいる。誘う彼女も彼女だか、受ける俺も俺である。
彼女から色々聞いた。知っていることも知らないことも。
「付き合ってほしいわけじゃないよ。今まで通り友達でいてくれたらいいんだよ」
「でも、辛くないの?」
「今まで通り話せなくなる方が辛い」
俺のことが好きになって話しかけたのか聞いたら、話していくうちに好きになったと言った。
「なんで俺に話しかけてきたの?」
「あたしに似てるなあって思って」
女の子に限らず、人と話すのは苦手だと言った。彼女もまた人見知りだった。

俺はもう彼女には怒ってない。彼女の心も安定してきたようだ。
彼女はまた部活に来るようになった。前よりも楽しそうな表情だ。
それでも、俺と話をするときが一番楽しそうだ。
今日も彼女は一緒に帰ってくれる。
「一緒に帰ろう」
 
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